世界平和の前進のための提案

―プラハ世界大会に参加して―

松江澄

労働運動研究 19839月 No.167

 

 このたびのプラハ大会には、世界平和運動を構成する三つの基本勢力がかつてない規模で世界的に結集した。すなわち一〇七名という最大の代表団を送ったアメリカと、アメリカ大陸からヨーロッパ・アジア・太平洋までの資本主義国内の反核反戦平和運動。PLOをはじめとした中東、または全アフリカからニカラグアなどラテン・アメリカまでの民族解放運動。そうしてソ連を先頭とした社会主義諸国の代表である。したがってこの大会の最大の課題は、この三つの基本勢力の統一であり、世界平和評議会や運営委員会もそのために格別の慎重な配慮をつくしたといえよう。結果はどうであったか。分科会報告では対立意見はすべて両論併記し、起草委員会で一人の反対もないまでねばり強く慎重に検討された大会アピールは、全構成員の拍手と歓呼で迎えられ、闘う巨大な統一は前進した。しかしその反面、深くつっ込んだ討論は避けられた。いや、むしろこれほどの規模の大会でそれはそもそも無理だったのかも知れない。しかし、三つの勢力の統一という最大の課題に近づくためには、まだまだ多くの問題があるように思う。          

まずソ連が核凍結を!

 まず資本主義国の平和運動と民族解放運動との関係はどうだろうか。

その象徴的なものは、 「連帯フォーラムしに困難をおかして出席したPLOアラファト議長の演説にたいする人々の態度に表われていた。熱烈な拍手の呼応で終始した彼のアピールへの反応のなかで、気のついたことがあった。それは彼が、シオニストとの闘い、アメリカ帝国主義の侵略と干渉との闘いは、平和のための闘いだと叫んだとき、一斉に立上って声援を送った資本主義国の代表たちのうち、「左手に平和の月桂樹を、右手に劔をとって闘う!」と力をこめてアピールしたときには、かなりの人々が腰を下して拍手をしなかったが、それは解放を闘っている代表たちの熱狂振りとは対照的だった。

それは核と抑圧とがけっして別のものではないことを知りながら、剣をとって闘うという闘争形態に、簡単にはなじめない気分を表わしているように思った。しかし、これはけつして相互の不信を表すものではない。

  私が出席しでいた第三分科会(軍拡競争とその阻止について)での討論のなかでは、もっと違った角度から三つの勢力の接近と対立があった。この分科会の討論は、まず「核軍拡競争の性質と方向」をテーマに始まった。そこでは、もちろんアメリカ巡航核ミサイルのヨーロッパ配備が中心的な課題であったが、やがて軍拡の「競争」という概念について論争が始まった。イギリス、西ドイツなど、いまヨーロッパ反核闘争で最も闘っている帝国主義内平和勢力を代表する人々は、異口同音に、原因はともあれこの競争には米ソ両国は双方とも責任があると指摘した。しかし、ニカラグアなど民族解放運動の代表は、社会主義国の代表とともにアメリカの一方的責任を挙げて、競争という概念がまちがっていると主張し、ソ連代表が「アメリカの核武装は攻撃的だがソ連のそれは防衛的だ」とのべたことにうなずいていた。それは明らかに社会主義国=民族解放運動と資本主義国内平和運動との矛盾であった。そこで私は翌日早々発言を求めて述べた。私個人はソ連代表の言うことに同感だが、それでことが済むわけではない。重要なことは理解し認識するだけではなくて、事実上の核軍拡競争の悪循環をどう変えるのか、どう阻止するのか、ということではないか。条約も協定も是非達成しなければならないが、いまだに実現されてはいない。そうして、限りのない核軍拡競争は、いままさに核戦争の危機を生み出している。何よりも必要なことは、協定を実現するためにも、各国人民の帝国主義政府にたいする闘いへの信頼のもとに、平和を愛する核大国(ソ連)がまず自ら一方的に核凍結、核軍縮を行なうという倫理的イニシアチーブをとることだ、と激しい語調で主張した。各国代表は一斉に私をみつめて沈黙した。こうした私の主張は、私がヒロシマ代表であるからだけではない。私は共産主義者の信念として主張した。そういう私の考え方へゆきつくうえで、二つのテーマがあった。

「いかなる」問題の帰結

 その一つは、 「いかなる国」問題以来の共産主義者としての模索と追求である。かつて私は、東京都議選を前に宮本顕治が行った核問題についての「転換」をきびしく批判して『「政策の転換」か「思想の転換」か』を執筆したとき(『労働運動研究』七三年八月号−後に松江澄「原水禁運動の統一と発展のために」に収録) (後に単子本『ヒロシマから―原水禁運動を生きて』青弓社刊に収録)、「転換」以前の日共の理論的支柱となっていた上田耕一郎の論文(「マルクス主義と平和運動」七一年)をとりあげた。結局、上田は、帝国主義の核実験は侵略的であり社会主義の核実験は防衛的であるという立場から、 「いかなる国」は絶対平和主義、中立主義だと批判していた。―いま日共が、「東西ブロック」という言い方で帝国主義と社会主義とを同列においていることと比較して見よ。一八○度の転換だが、立っている地点は同じ民族主義だ。私は「いかなる」の替りに「すべて」を置きかえることでゴマ化そうとしている上田を批判しつつ、次のように書いている。

 「共産主義者が『いかなる国の核実験にも反対』というスローガンを支持するのは、核兵器の製造・貯蔵・開発などが持つ階級的革命的な対立と区別を自明の前提として確認した上で、なおかつこのスローガンが主要には帝国主義への攻撃のスローガンであるからだ。……こうした時期(核開発競争の激化)に、帝国主義の核開発に対する最も鋭い攻撃は、各国人民が自国政府にその開発の停止を迫るとともに、アメリカ帝.国主義によって唯一の核被害を経験した日本の原水爆禁止運動が『すべての核兵器の禁止』という願望にとどまらず、個々の核実験に停止を迫りつつその最も主要な張本人であるアメリカ帝国主義にその道義的な世論と行動で集中的に迫ることであった。それは『いかなる国』という形態でその普遍的な倫理性を公示しながら、内実は帝国主義とりわけアメリカ帝国主義の核政策への最もきびしい対立物となるからである。……われわれ共産主義者は、汎人類的な 『新平和主義』や、また『絶対平和主義、中立主義』の立場からではなく、共産主義者の階級的革命的立場からこのスローガンを支持したのだ」と。 (カッコと傍点は筆者)私はいまでもこの立場をかえていない。そうでなければ、共産主義者としてどうして米ソをはじめ「いかなる国」の核実験にも抗議して慰霊碑の前で坐り込むことができようか。そうしてプラハ大会分科会での私の主張は、この立場の延長と発展的な追求のなかから生れた。

 核戦争から人類の生存をまもることが、現代における最も崇高な課題であるとするならば、実験の停止=開発の停止を直接的にヒューマンな要求として実験する国につきつけるべきだと思う。この場合、両体制の区別という図式から出発するのではなく、人類の生存の必要から生れた倫理的な課題にたいする対応を通じてこそ、両体制の区別は明らかにされるべきだし、多くの人々は先験的な理論としてではなく、事実と経験を通じてこそ両体制の区別を知り、自らの課題を実現する道を見出すはずだという確信が私を支えている。それは、被爆という特殊日本的な条件のもとで、普遍的な真理に接近するための共産主義者の追求だと私は思っている。その意味で、「いかなる国の核実験にも反対」という抗議運動をいま噌歩進めれば、社会主義国こそまず何よりも人民大衆の要求に答えるはずであるという想定のもとに、「いずれかの核大国がまず自ら一方的に核実験を停止せよ」という要求運動に発展させるべきであると思う。そうしてここまでくれば、それは単に核実験の停止だけにとどまるべきではない。「平和を愛する核大国がまず一方的に核軍縮を進めるべきだ」という今回の私の発言に直接つながってくることは言うまでもない。それを第一次ストックホルム・アピール「世界で最初に核兵器を使用する政府は人類にたいする戦争犯罪人とみなす」と対置すれば、「自発的一方的に核軍縮を進める政府こそ人類の平和と生命をまもるうえで最大の友人とみなす」ことができるのではないか。全世界五億の署名を集めた前者のアピールが、核開発競争初期にその開発に歯止めをかけるとともに、当時の情勢のもとでの危険な核兵器使用を喰い止めるための適切な大衆的要求であるとすれば、後者のアピールは核軍拡競争の激化が、その極点に達しつつあるとともに、核戦争の危…機が現実のものとなっているときに、人類の平和と生命をまもるためにこそ必要な大衆的な要求ではなかろうか。

 私にとって今回の主張は「いかなる国」以来の必然的締結なのである。

世界の反核運動に信頼

  しかし、一方では、こういうとら え方考え方に反対の人もいる。ソ連 が一方的に核凍結したり核軍縮すれ ば、かえってそのスキに乗じたアメリカ帝国主義の冒険的な攻撃を許す ことになる。そういう考え方は、甘いばかりでなく極めて危険だという意見である。現に大会の分科会でも、一方的な核凍結はソ連ばかりでなく、全世界にとってもメリットはなく危険であるという意見があった。しかし、それでは結局、否定しながらも事実上は「力の均衡論」に 陥ることになりはしないか。また、もしそうだとすれば、一体どのような手段と展望があるというのか。今日まで十数年間、部分的に協定は結びながらも、結局核開発競争は縮小されるどころか、新しい核兵器の質の向上を含めて、拡大の一途をたどっているのではないのか。核戦争の危機を前にして情勢待ちは許されぬ。

  私は無条件、無限定に一方的核軍縮を主張しているのではない。諸国人民の帝国主義政府にたいする闘いのいっそうの発展を担保として、この課題を提起している。一昨年来の世界的な反核反戦の運動は、けっして目本原水禁運動の世界版でもなく、また国連陳情運動でもない。危機を自覚する帝国主義の巻き返しをねらう核洞喝にたいする諸国人民の自立自衛の運動であり、もはや自らの運命を他にゆだねず、自らが決定しようと立ち上った人民の連合した運動である。だからこそこの運動はただ反核というだけでなく、反核を集中的表現とした重層的多面的な反帝国主義の気分と感情さえ含む広く多様な運動である。この運動のひきつづく発展に信頼をおくことによって、一方的核軍縮を宣言すべきではないのか。もしそうでなければ、何時の日か帝国主義の餓悔を期待するのか、それとも帝国主義を打倒し去るまで競争を引き延すのか。

 世界人民の闘争の発展に信頼をおいた、一方的措置による倫理的でヒューマンなイニシアチーブは、必ずや全世界人民の運動をはげまし発展させ、こうして諸国人民の闘いと社会主義国のイニシアチーブは、固く結びついて帝国主義の野望を帝国主義を絶滅する以前にも粉砕することができるのだ。

いまこそソ連の創意を

 さきに私は、民族解放運動と社会主義との固いきずなについて語った。フォーラムでのアラファト議長の表現によれば、 「ソ連と社会主義諸国は人民解放戦線のトリデである」と。それは、解放のための軍隊と軍事援助を含む資金援助という具体的な力で結びついている信頼関係である。それでは資本主義国内の反核反戦平和運動の場合はどうであろうか。そこで、この問題についての第二のテーマが生れる。それは、社会主義の知的道徳的ヘゲモニーと、それに到る倫理的イニシアチーブである。資本主義国内の運動の場合には民族解放運動の場合と異なり、強いきずなとなるのは社会主義の実例を通じての認識と信頼なのである。

かつて私たちは、社会主義ソ連の実例の力を拠りどころにして、社会主義を宣伝し社会主義をめざして闘ってきた。しかしいま、残念ながら実例に頼るわけにはゆかなくなった。

いやそれどころか、一部の実例はかえって人々の社会主義へのイメージに疑問を抱かせ信頼を遠ざけている。何故そうなのかという問題について、私もここ数年来追求してきたことを近く発表して批判を乞いたいと思うが、それは世界史の発展過程と切り離すことはできないだろう。

 しかし、たとえそうであったとしても、仕方がないとあきらめるべきではない。それは具体的な現実の問題として、世界の労働者と人民の視野のうちにあるからだ。私たちは最近流行のエセ「マルクス」主義者のように、ソ連の悪口を重ねるほど「マルクス」主義的だと思い上る不信の徒をしりぞけつつ、なお労働者階級と共産主義者の側からはっきりと批判し要求する必要がある。もちろんそれは核問題についてだけではない。社会主義国とりわけソ連の実生活のすべてを通じてこそ、信頼は回復されなければならぬ。後年のレーニンの思想をいっそう発展させたグラムシ流にいえば、発達した資本主義国を支配しているブルジョア・ヘゲモニーを奪いかえすためには、カによる支配をくつがえすだけでなく、ブルジョアジーのヘゲモニーに同意を与えている人民のなかに新しい「有機的知識人」としての党が知的道徳的ヘゲモニーをうちたてなければならない。しかしそれは、国内の変革だけではないはずだ。社会主義をトリデとした革命の世界的発展の場合もそうではなかろうか。資本主義国のなかで変革をめざして闘っている私たちにとって、社会主義国がトリデであるとすれば、「それは軍事援助や資金援助ではなく、社会主義の実生活の実例を通ずるその知的道徳的ヘゲモニー、また国際的諸問題にたいする知的道徳的ヘゲモニーではないか。そうして、まずさし当って何よりも必要なのは、核戦争の危機のもとで人類の平和と生命をまもるため、今日の激化する核軍拡競争を縮小から停止に導くための積極的で人道的なイニシアチーブなのである。これがいま共産主義者、そうしてヒロシマで闘っている一共産主義者としての私のゆきついた思想であり、プラハ大会で主張した提起の考え方である。

 世界的規模での知的道徳的ヘゲモニーをめざすイニシアチーブこそが、全世界の人々の平和と生命をまもる運動に応えつつ、さらにその運動を発展させることができる。そうしてつくり上げられる三つの勢力の統一の力こそ、スキに乗ずる帝国主義の核桐喝を封殺することができるだけでなく、帝国主義と凶暴な戦争屋を追いつめることができるのである。   (一九八三・七・二五)

 

 

〔資料()

 これは当初私がスピーチするために予足し、すでに英訳してあったものである。しかし分科会では議長団の要請で、スピーチ、とくに原稿を見ながらの意見発表はやめて、他の人々の意見との対話と討論にしてほしいと強く希望され、一回の発言時間も五分以内と決められた。

そこで私は急いで予定を変更し、私がこの原稿でのべようとした意見を分科会の討論に即して数度に亘って発言した。

 しかしこの原稿もすでに英訳も出来ていたし、全体をまとめて発表することも必要だと思ったので、かなりの部数のコピーをつくって私が会った各国代表に手渡し、また多くの代表たちもそうしているように、パンフ展示用のデスクにも置いたら、またたく間に全部なくなった。

そこでこの文書を原文のまま発表し、私がすでにのべてきたところと合せて、検討、批判の素材としていただきたい。

〔資料〕()大会アピール

核戦争に反対し平和と生命を守るために

 人類はいま決定的な歴史的岐路に立っている。ひとつの誤った方向

をとるなら、世界は後戻りのできない核戦争の奈落に落し込まれかね

ない。

 今日ほど、軍拡競争、特に核軍拡競争が危機的な段階に進行してい

る状況はかつてない。実際に、進められているすべての軍備制限、軍

備縮小のための交渉はその進展を止められつつある。新しい軍事計画

が実行に移されつつある。さらに新しい大量破壊兵器が開発ざれつつ

ある。核兵器の「容認可能性」、「限定的もしくは継続的な核戦争遂行

の可能性」といった考えを人々に押しつけようと目論まれている。

 中束、中央アフリカ、南部アフリカ、東南アジア、極東など世界の

さまざまな地域に破局寸前の情勢が存在している。主権国家にたいす

る侵略行為がなされている。さまざまな諸国間の軍事紛争が外部から

挑発され、政治的経済的独立、民族主権、領土的主権、世界の平和を

求める諸国人民の正当な意志は踏みにじられている。外国軍事基地網

は拡大されつつある。

 特に深刻な脅威となっているのは、西ヨーロッパに第一撃用の新型

核ミサイルを配備することが計画されていることである。この計画の

実施は、核紛争の危険性を著しく高めることとなろう。この核紛争は、

ヨーロッパに限定することはできない。必ずそれは地球的な大虐殺へ

とつながるであろう。ヨーロッパへのミサイル配備を阻止すること、

ヨーロッパ大陸のすべての核軍備を縮小すること、そして世界のすべ

ての核兵器を廃絶することは緊急の課題である。

 ますます深刻化する核戦争の危機を憂慮し、そして平和をまもるた

めの自らの重大な責任を認識し、私たちはチェコスロバキアの首都プ

ラハで六月二十一日から二十六日まで開催された「核戦争に反対し、

平和と生命をまもる世界大会」に集し渇。私たちは世界百三十ニカ

国の市民であり、そこにはさまざまな民族、人種、さまざまな哲学的

見解、宗教的、政治的立場をもった人々が存在する。私たちは労働組

合、平和団体、婦人組織、青年・学生運動、政党、宗教団体など一八四

三の国内団体の代表であり、一〇八の国際的民間団体の代表である。

そしてこの大会には十一の国家間組織の代表も参加したのである。

 私たちは宣言する。

 核戦争準備は人類にたいする最も重大な犯罪行為である。しかし、

戦争は不可避的なものではない。核による大虐殺を防止することはま

だ遅過ぎてはいない。人類を救う手段は人々自身の手の中にあり、各

々の男女がともに断呼として平和のために立ちあがることこそ必要で

ある。

 平和をめざす大衆運動は強い力であり、今日の世界情勢を決定する

要因のひとつとして、世界の政府の政策に影響を与え、平和の方向に

向けさせるだけの力量をもってい.る。

 この広範で多様な平和運動の力はそれらが統一して行動する可能性

と能力の訟かにある。他の問題に関する意見、立場の相異があったと

しても、私たちは、核戦争を防止し平和と生命をまもる共通の目標を

もっている私たちが、それによって分裂させられることはけっしてな

いと確信している。

 私たちはすべての諸国人民に呼びかける。

 一九八三年を新たに自殺的軍拡競争の段階、新たな紛争拡大の段階

への跳躍台とすることを許すな!

 世界の人々の最も緊急な要求の実現のために私たちの努力を集中し

よう!

 ヨーロッパへの新型ミサイル配備反対!

 ヨーロッパに配備されているすべての種類の核兵器の削減に関する

現実的な交渉に賛成!

 すべての核兵器庫を凍結せよ!

東と西、全世界の核兵器反対!

核兵器、通常兵器の軍拡競争停止!

非核地帯に賛成!

全般的かつ完全な軍縮を/

軍事対決ではなく平和的政治交渉を!

世界の資源を平和と生命のために!

すべての民族に平和と自由、独立と繁栄を!

 

 

プラハ大会での演説草稿

 議長ならびに平和のために日夜奮闘しておられる諸国人民の代表の皆さん!

 私はヒロシマから来ました。 「広島原水禁」を代表して皆さんに心からの連帯のご挨拶を送ります。 私が―そうして広島原水禁が―このような世界平和大会に出席するのは今度で二度目です。私がかつて参加したのは今から十八年前の一九六五年、ベトナム戦争のさなかにヘルシンキでひらかれた世界平和大会でした。そうしてこの大会は、イギリスのバナ!ル教授の提案による「多様性のなかの統一を求めて、きびしい対立を粘り強い話し合いで解きながら、大きな成果を挙げました。そうしていま、このプラハ大会にはさらにいっそう多くの平和勢力を代表する人々が参加し、また`この大会に代表は送っていないが、かつてなく多様で自立的な反核反戦の運動が世界中に無数に拡がっているなかでひらかれています。

 そうしてへルシンキ大会では、核兵器については、ベトナム侵略の汚ない戦争の中で使用される危険が大会の関心のなかの一つであったのに比べて、この大会では核戦争を防止することが全面的で中心的な課題となっているのです。それは、この十八年が核をめぐる情勢にとってどんなに重大であったかを示しています。もちろんそれは帝国主義者や戦争屋が十八年前に比べて強くなったからではありません。それどころか、彼等はますます諸国人民から孤立するなかで破滅への恐怖にかられ、時の流れを変えようとヤッキになっているのです。そのためレーガンとその追随者たちは、自分たち自らの恐怖を他国への憎しみにすり変えようと必死のプロパガンダを振りまき、ヨーローパからアジアまで「戦域核」をはりめぐらそうとしています。日本もけっして例外ではありません。中曽根政府はレーガン政権と〃運命共同体"の誓いを立て、ソ連と対抗するため身海峡封鎖の責任を分担し、日本をアメリカのための不沈空母にしようとしています。

 しかし私たちが懸念するのは、それだけではありません。こうした帝国主義の核燗喝は仮想の標的となっている社会主義ソ連の核開発をも促がさずにはおきません。そうして、それはまた帝国主義者たちの新たな核開発と核装備の口実にされるのです。結局、哲学としてではなく事実上の「力の均衡」論がいっそう核開発と核競争を過熱させ、それだけ核戦争の危機を深めるのです。 「核戦争を阻止するための核開発」というレトリックに人々はいら立っているのです。何故ならば、このシーソーゲームには終りがないからです。

 私たちヒロシマ市民は、いかなる国のいかなる種類の核兵器の製造、実験、貯蔵、使用にたいしても反対してきましたし、今でも反対しつづけています。現実に被爆を体験したヒロシマは、核兵器の所有者や種類によって良し悪しを区別する余裕もないし寛容さも持っていないのです。

 私たちはソ連のヨーロッパにおける自発的な核縮減案を支持します。

しかし、これはまだほんの一歩にすぎません。私たちは核競争の悪循環を断ち切るために、すべての核保有国とりわけ大国の自発的積極的な核軍縮をヒロシマの名において要求します。こうした倫理的なイニシアチーブだけが、今日おちいっている迷路から抜け出す道なのです。もし自国の核優位に乗じて居丈高な核桐喝を行う者がいたとすれば、それはきっと全世界人民の敵として糾弾され、直ちにその地位を失うに違いありません。世界の多くの人々は、核戦争がどんなものであるのかを良く知っているからです。

 私は被爆者ではありません。私が戦争と軍隊から解放されて広島に帰ったのは、原爆が投下された日から二週間後でした。ほとんど人のいない焼野原を一日中さまよい歩いた私が、たった一人の兄弟が爆心地で死んだらしいと知ったのは、五日後、他の町へ逃げのびていた家族と再会したときでした。そして三年後、被爆した母は頭髪が抜け落ち血を失って亡くなりました。被爆直後のヒロシマをさまよい歩いた私の体の中にも、二次放射能が残っているに違いありません。しかし私は被爆者ではないのです。私は亡くなった母がいつも言っていたのを思い出します。

「『ピカ・ドン』の恐しさは体験した者でなければ分らん」と。子供にも伝えようのないむごたらしさのなかに、母はこの世の地獄を見たに違いありません。そうして同じようなことばをつぶやきながら、今年もまた被爆者は四月末現在で一二五一人も亡くなったのです、最近の広島の研究機関の発表によれば、小学生の頃被爆した人々が漸く五〇歳前後になるこの頃、胃癌の罹病率は普通人の四倍も高いのです。もう一つの医学的研究は、幼い時の被爆ほど影響が強いと伝えています。胎内被爆の人々はもちろん、被爆二世の人々も放射能の被害からまぬかれることはでき衷せん。それなのに日本政府は、被爆者が要求しつづけ待ちつづけた国家補償にもとつく被爆者援護法を未だに制定しようとしないのです。

戦争の過去を悔い改め償うことをしない者が、どうして現在の平和を保障することができましょう。

 核兵器のむごたらしさは、瞬時に十数万の人々を殺しただけでなく、三十八年後の今日まで、そうして今後とも長く、人々を殺しつづけていることです。そうしていま、巨大な核兵器と発達した運搬手段のもとでは、たった一つの引き金が直ちに全世界を核戦争に投げ込み、地球を放射能でおおいつくすのです。世界がヒロシマになるのです。そしてヒロシマと違うのは、けっして再び人類と文化はよみがえることはないだろうということです。

 しかし私は、核戦争の恐しさを長崎とともに経験したヒロシマの証人として、皆さんに知らせるためにだけここに来たのではありません。私たちにとってもっと重要なことは、核戦争を防ぐためにいま私たちは何をしなければならないか、どんなにして力を合せなければならないかということです。

 ヒロシマで戦後最初に私たちが反戦反原爆を闘ったのは、一九五〇年朝鮮戦争のときでした。この年の八月六日、日朝両国の青年活動家がともに手をとり合って、朝鮮戦争に反対して、原爆の廃棄を要求し、アメリカ占領軍と日本政府の二重権力による弾圧のもとで闘ったのです。それから四年後、太平洋ビキニ環礁でのアメリカの核実験で、第五福竜丸の久保山機関長が放射能で亡くなり、マグロの汚染を通じて放射能の脅威が実生活に迫ったとき、ヒロシマとナガサキは人々の胸によみがえったのです。日本中の人々が年齢、性別、社会的地位と信条の相異を超えて、反原爆の運動に結集しました。その後二回の分裂を経ながら、ベトナム反戦を他の諸運動とともに闘いましたが、それは「今日」のベトナムのなかに「明日」のヒロシマを見たからです。そうして昨年来、ヨーロッパから起きた反核、反戦の運動に触発されて、いま新しい転機を迎えているのです。

 昨年来世界に拡がった反核反戦の運動は、けっして日本の歴史的な原水爆禁止運動の再生でもなければ、またもちろんその世界的な拡がりというものでもありません。それは帝国主義の冒険的な核戦略と核洞喝にたいする全世界の人民の自立自衛の総反抗の闘いにほかなりません。ヒロシマは、その生き証人として歴史の舞台に呼び出されたのです。この運動は国連の軍縮総会にも大きな影響を与えました。しかしこれは、諸国政府の連合である国連への陳情運動ではありません。それは自らの運命を他にゆだねず、自らが決めようと決心した幾千万幾億の人々の運動であり、それはまた国境を超えた諸国人民の連合による運動なのです。

そのうえこの運動は、けっしてただ反核というだけでなく、今日の腐った帝国主義がもたらすすべてのウミと苦しみにたいする、人々の怒りと憤りのすべての集中点としての反核なのです。

 日本でも、昨年はヒロシマ「三・二一」、東京「五・二三」、大阪「一○・二四」と、それぞれ二〇万人か」ら五〇万人もの人々が反核反戦の旗をかかげて集まりました。私はこうした歴史的な運動から、多くの教訓を学びつつ若干の課題を提起して、皆さんの検討をお願いするものです。

 まず第一に、核戦争を阻止する力は究局的には世界の民衆の力以外にはありません。そうしてそのカは、何よりもそれぞれの国の政府に向けられるとき、最も大きな効果をあげることができるのです。自国政府にたいする闘いこそ、国際連帯の闘いの基礎です。全世界の人民と平和勢力が、自国の政府とりわけ帝国主義政府にたいして、 一切の核と戦争から手を切るよう働きかけ、闘うことこそ今日最も重要な課題ではないでしょうか。

 そうして二つ目に重要なことは、こうした自らの闘いを基盤として、まず同じ大陸同じ大洋の諸国諸民族と連帯して闘うことです。いま広島の文学者たちは、日本の多くの文学者の賛同を得て、「〃核"・貧困・抑圧からの解放を求めて」というテーマのもとに、国際会議を開こうとアジア諸国の文学者たちに呼びかけています。私たちはこの運動と会議を心から支持し、その成功のために協力を惜しみません。核と貧困と抑圧、それはけっして別のものではないのです。過去も、そうして現在も、日本帝国主義はその負い目から逃れることはできません。

 最後に皆さんに訴えたいのは、運動の統一についてです。今日ほど多くの平和運動が世界のすみずみまで拡がっていることはかつてありません。それはどこの指令によるものでもなく、また誰かに誘われたからでもありません。そこには無数の自立した運動があり、それはまた無数の連帯を生み出すに違いありません。

自立性と連帯性はけっしてバラバラな別のものではなく、固く結び合った一つのものです。いま必要なことは「多様性のなかの統一」から一歩進んで「統一の多様性」をこそ探求することではないでしょうか。

 核戦争を防ぐために、平和と生命をまもるために、すべての運動とともに、そうして私たちとは手を結ばないが、闘っているすべての運動とともに闘いましょう!

 私たちヒロシマは皆さんとともに闘います!

 ヒロシマをくりかえさせるな!

 
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